- 天野 加奈
- 職業:会社員お住まい:福岡市
「ねえ、知ってた?太平洋戦争中の特攻基地として知られてる知覧って、実は大刀洗陸軍飛行学校の分校だったんだよ。大刀洗には当時東洋一と言われた飛行場があって、今は平和記念館も建てられてるんだよ。」
同僚から話を聞いて、大刀洗平和記念館の連絡先を聞きたいと思い、大刀洗町役場に電話したところ、受話器の先から「実は、大刀洗平和記念館はお隣の筑前町で建設されているんですよ。よかったら記念館の電話をお教えしましょうか。」と申し訳なさそうな声。
「大刀洗」なのに「筑前町」?と不思議に思いながら、記念館に電話をしてみた。
大刀洗飛行場は今の大刀洗町、筑前町、朝倉市にまたがっていて、関連施設も含めると394万㎡あったとのこと。福岡空港の敷地面積が353万㎡だから、どれだけ広大な敷地だったかが分かる。
どうしても平和記念館に行きたくなり、西鉄大牟田線から小郡駅で、甘木鉄道に乗換え、レールバス(※解説)に揺られながら太刀洗駅で下車した。戦時中は、この駅に多くの人が乗り降りしていたらしい。
駅前の広場には、飛行機が展示されている。戦後練習機として実際に使われていたものとのこと。昔の駅舎だろうか「大刀洗レトロステーション」の看板がかかっている。町立の記念館ができる前は、なんと個人の方がこの場所を記念館として運営してこられたのだ。
歴史を感じながら道路の向かい側にある平和記念館に向かう。
記念館の中は、実際に特攻に出撃した陸軍戦闘機「九七式戦闘機」や、世界に唯一現存する海軍の「三二型零式艦上戦闘機」が展示されている。また、死を覚悟して特攻に出撃された兵士の方が家族にしたためた遺書なども展示されていた。
さらに、昭和20年3月27日と31日、飛行場があるが故に受けた大空襲のことも展示されており、改めてこの場所が鎮魂の場であるとと共に平和の大切さを語り継ぐ基地であると感じながら記念館を出た。
広大な敷地であった大刀洗飛行場跡地は、戦後、開拓・開墾され、そこに飛行場があったとは思えないのだが、実は今でも当時を語る戦跡が点在している。
大刀洗町にある戦跡でいえば、大刀洗公園内にある菊池武光像は空襲による弾痕が残り、大刀洗川にかかる菊池橋(通称バクダン橋)は何発もの爆弾投下を受けたのだという。
大刀洗町に暮らす人の温かさや優しさというのは、田畑が広がるのどかな風景がそうさせているだけではなく、空襲や戦後の苦難などを受入れ、乗り越えてきた強さがなせるものだというのは考えすぎだろうか。
大刀洗平和記念館を訪れた際は、戦跡にも足を運んでみてはいかがだろう。
決して楽しい場所ではないかも知れないが、この地域が持つ平和への願いを一層強く感じられるはずだ。
- 大刀洗平和記念館と戦跡
- 福岡県朝倉郡筑前町高田2561-1