あなたの大刀洗のアナバ教えてください


TACHIARAI NO ANABA

福岡 信義
職業:大刀洗町職員お住まい:大刀洗町

山隈老松宮

小さいときから「お宮(おみや)」と呼んできた。
100m近くある参道の両脇は田畑。とうもろこしなんかが背高く伸びている中を通っていると、小さかった頃のことを思い出す。7月にあるお祭り「よど」。小遣いを握りしめて、何のおもちゃを買おうか、何を食べようかとワクワクしていた。
10月は奉納相撲。菊地小の男の子達は漏れなくまわしを締めて参加。
1月は初詣。「今年も元気でいられますように」と、まあ、ありきたりなお願いをし、姉と競い合って鈴を鳴らしてたっけなー。
そしてだいぶ月日が経った。

子どもの頃は怖くてたまらなかった獅子舞。
怖がらせる方になってから山獅子達はお宮から来るのだと知った。
今は、若獅子達も高齢化(とはいえ、私よりかなり年下なのだが)しているらしい。
我が子のお宮参りもお宮だった。

父親と入れ替わりで会員になった山隈地域の青壮年部「二三四会」。
当時からの会員の方達が、60歳を超えてもまだまだ現役で頑張っていらっしゃる。「よど」には二三四会も出店を出している。ホルモンを焼き、ジュースを売り、小遣いを持って買いにくる子ども達がおいしそうに飲み食べしているのを見て嬉しくなる。
ただ、昔から気になっていることがある。
「よど」はどうして「よど」なんだろう?。

奉納相撲に出場するわが子のまわしを締める。子どもの頃にやったことは覚えているものだ。まあまあの仕上がり。土俵に上がる息子が頼もしく見える。
正月、「お宮」に初詣。どちらが鈴を鳴らすかであらそう子ども達。
生きていく節目節目に、「お宮」は存る。
子ども達が大きくなった時、自分が老いた時にも「お宮」は「在る」だろう。
ここにいる地域の人たち、昔からいる人たちも新しくことに来た人たちにとって節目のときに「在り」続けてほしい。

山隈老松宮
福岡県三井郡大刀洗町山隈1925

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